08-01 雄武ダムの地質
雄武ダムは道道49号美深雄武線と道道137号遠軽雄武線の交点から道道137号を南に4.2㎞辿った位置にある。道道137号は遠軽町と雄武町を結ぶ道路であるが未開通区間がある。工事中途で事業中止となったためである。道道137号終点側(雄武側)は道道49号交点から雄武ダム堤体下までの4.2kmが開通区間であるが、その先は未開通区間である。
新第三紀中新世に入ると、北米プレートは日高帯を取り込んで西進し、ユーラシアプレートと衝突する。ユーラシアプレートは北米プレートの下に沈む込み、両プレートの境界に南北方向に伸びる沈降帯が生じた。
この頃、日高帯北部はサハリンまで続く南北方向の横ずれ断層の影響を受けて(明確な断層地形は確認されていない)急激に上昇を始めた。上昇する山地から大量の砕屑物が供給され、タービダイトとして沈降帯に流れ込み、古丹別層(苫前ダム基礎地質)や増幌層を形成した。
上昇した山地は、その後の浸食により高度を低下させた。中新世中期になると、山地で激しい火山活動が始まり、陸上に溶岩、火山砕屑岩、溶結凝灰岩などが形成された。
北見山地は地帯区分でいえば日高帯*1にあたる。したがって、この地域の基盤岩は、白亜紀に形成された付加体である。例えば、ウエンシリ岳は白亜紀の付加体からなる山である。この付加体からなる基盤の上に、新第三紀中新世に噴出した溶岩、火山砕屑岩、溶結凝灰岩などが分布している。噴出時期は19~9Maとされている。雄武ダムは、中新世に陸上で噴出したイナシベツ溶岩*2の上に建設されている。
イナシベツ溶岩は雄武町日の出岬に広く露頭している。一見玄武岩を思わせるような黒色の岩石であるが、安山岩である。堅硬で板状節理が顕著に発達している。雄武ダムは、このような溶岩上に建設されているため、ダム建設上の留意点を理解しやすい場所である。ダムを訪れる前に立ち寄ることをお勧めする。
イナシベツ溶岩の名称は、1964年(昭和39年)刊行の五万分の一地質図幅「沢木」、1966年(昭和41年)刊行の5万分の一地質図幅「雄武」、1980年(昭和55年)刊行の五万分の一地質図幅「西興部」などの記述を始めとし、最近の火山研究者の論文にいたるまで、半世紀以上にわたり使用されてきた。しかし雄武ダムにおいては、調査開始から試験湛水終了まで一貫して「イソサム溶岩」の名称を使用している。これは1969年(昭和44年)刊行の五万分の一地質図幅「西興部」において「インサム溶岩」の名称が使用されているからであろう。インサム溶岩の名称(イソサムではなくインサム*3)は「上興部」図幅以外に見当たらない。
本文においては「インサム溶岩」の名称を使用せず、「イナシベツ溶岩」の名称を使用することにする。「名は体を現す」という言葉があるように、イナシベツ溶岩の名称が一般的に使用されており、そのほうが溶岩の実態をよりよく理解できるからである。なお「西興部」図幅では、地層名をA層、B層、C層などの記号で表記している部分もあり、理解しにくい。工学的には地質に対応する物性値が与えられれば名称にはこだわらない、とするのかもしれないが。
雄武ダムダムサイトに分布するイナシベツ溶岩には4層の安山岩溶岩のフローユニットが認められる。溶岩の周縁部の一部は自破砕状を呈し、弱い変質も認められる。フローユニット間には凝灰岩層や火山砕屑岩層を挟んでいる。いずれのフローユニットもほぼ水平に分布しており、地質構造的には比較的わかりやすい。
しかしフローユニットにより透水性状が異なるため、左岸部を中心に多層地下水が存在した。特に溶岩は板状節理が発達しており、高い透水性を示す場所が存在した。また高溶結した火山砕屑岩の一部に冷却節理が発達しており、開口している亀裂は高い透水性を示した。
ダムサイトの基礎岩盤は冷却節理の発達した亀裂性岩盤である。これらの亀裂は川の浸食による地形形成過程で生じた応力開放により、大きく開口する場所も存在した。
割れ目内の浸透流の流速は割れ目の開口幅が大きくなるほど大きくなる。岩盤の透水性状は間隙幅の大きな割れ目により支配される。このため、左岸リム部の遮水はこの点に着目して行われた。
ダムサイトでは硬質の安山岩溶岩と軟質な凝灰岩が交互に分布している。計画では洪水吐は層厚7mの凝灰岩上に設置される予定であった。しかし、この凝灰岩のN値は10~20、変形係数は30~70MN/m2と軟弱であった。特に洪水吐導入部は極めて軟弱であることから、コンクリートで置換した後、洪水吐が設置された。
雄武ダムへの道道137号にはゲートが設置されており、立ち入りできない。ダムに至る手段はないかと、グーグルマップを見ると堤体右岸への道路が見つかった。国土地理院の地形図にも林道と思われる道が表示されている。ダムへはこの林道を使用することにした。林道入口にゲートらしき物はあるが、鎖はなく通行は制限されていないようだ。あまり使用されていないためか、低い草が生えているが徒歩通行に支障はない。車も通行可能であるがSUVのほうがよい。この林道はダム天端脇を通りさらに奥へと続いている。ダム天端付近において林道とダムの管理道路が並行している。林道を利用する人がいるのであろうか、林道とダムの境界に鎖が設置され、両者は分離されている。この境界の鎖を越えなければよいと思われる。堤体には近づけないが、ダムの状況は十分把握できる。
道道137号は雄武ダム提体下で終点となっている。終点手前でダム管理所に続く道と分離している。しかしゲートは道道終点のかなり手前に設けられており、ダムに接近できない。せめて道道137号として建設された場所まで解放できないものだろうか?道道から分離するダム管理道路を立ち入り禁止にするのは一向にかまわないので。
*1日高帯:北見山地を中心に南北40㎞、東西40㎞の範囲に白亜紀~古第三紀初めにかけての堆積岩類からなる地層が分布している。日本地方地質誌においては、この地域を日高帯北部と称し、泥岩、砂岩、メランジュ相地質体が分布する、としている。産総研のシームレス地質図にいては、この堆積岩類を付加体性の地質体であると記載している。なお、美生ダムで記載した「中の川層群」との関係は明確ではない。
*2イナシベツ溶岩:北海道北部地域における火山活動は、19~17Maと14~9Maの二つの時期に分けられる。前者の活動は小規模であるが、後者は大量の溶岩を噴出した。しかし9Ma以降火山活動は終息した。この時期に活動した溶岩は19岩体に分類されており、その一つがイナシベツ岩体である。イナシベツ岩体は東西20km南北5kmの範囲に分布しており、K-Ar年代が9.8±0.5Maとされている。
ナシベツ溶岩は高TiO2かつFeO/MgO比が高い安山岩であることから、島弧由来ではなく千島海盆の拡大に伴う火山活動で形成されたと考えられている。北海道北部地域ではユーラシアプレートと北米プレートの衝突により厚い地殻が形成されていた。14Ma頃、千島海盆から北海道北部にかけて熱源の上昇が生じ、千島海盆が拡大を開始した。これにより千島海盆では玄武岩質マグマが噴出した。一方北海道北部地域では地殻が厚いため拡大することはなかったが、拡大に伴って発生したマグマと溶融した地殻の混成作用により、カルクアルカリ岩質の安山岩マグマが形成されたと考えられている。
雄武ダムはイナシベツ溶岩上に建設されている。イナシベツ溶岩は平坦面状溶岩のため地質構造は比較的単純である。
*3インサム溶岩:「上興部」地質図幅の凡例ではインサム溶岩(Insamu Lava)を使用している。また地質図中の河川名はイソサム川(Isosamu-gawa)となっている。図幅中のローマ字表記から明らかなように、インサムとイソサムは誤植ではなく、意図的に命名されている。著者は既に鬼籍に入り、その理由をお聞きすることはできなかった。
雄武ダムの地質調査では、「上興部」地質図幅に採用されているインサム溶岩を使用せず、イソサム溶岩の名称を用いている。通常は地質図幅において与えられた名称のインサム溶岩を採用するはずであるが、なぜか地質コンサルタントが新たに造語したイソサム溶岩の名称を使用している。
型式:ロックフィル
完成年度:2008年
堤高/堤頂長:54m/234m
総貯水量:330万m3
水系名/河川名:雄武川/イソサム川