34-01 日新ダムの地質
富良野地方には、十勝岳火山群を噴出源とする第四紀の火砕流堆積物が広く分布している。火山の噴火により火山砕屑物が山腹を流れ下る現象を火砕流と呼ぶ。高温で堆積した火砕流では、軽石や火山灰が熱と圧力により結合し、溶結凝灰岩という岩石になる。よく見ると上方からの圧力により軽石の形が細長く変形しているのが分かる。
この地域には3種類の溶結凝灰岩、すなわち雨月沢溶結凝灰岩、美瑛溶結凝灰岩、十勝溶結凝灰岩が存在する。いずれも十勝岳火山群の山体形成に先立つ火山活動に伴い噴出した火砕流が溶結したものである。雨月沢溶結凝灰岩の噴出時期は新第三紀鮮新世、美瑛および十勝溶結凝灰岩の噴出時期は第四紀更新世とされている。したがって、この頃から十勝岳火山群は活動を始めていたことになる。同じ溶結凝灰岩でも流出方向により岩質が異なり、岩石の色や構成鉱物などを詳しく比較しないとそれらの区分は難しい。
上川支庁にある日新ダム、新区画ダム、しろがねダム、東郷ダムはいずれも溶結凝灰岩の上に建設されている。
これまで砂礫層や粘土層などの未固結堆積物は、透水性や強度の点からダム基礎として不適とされてきた。しかし1960年代になると、地盤の改良工法や止水技術の進歩により、未固結層の上にも小規模なフィルダムが建設されるようになってきた。日新ダムやしろがねダムはいずれも溶結凝灰岩とともに未固結の透水性地盤上に建設されたダムである。
日新ダムは上富良野町中心部から道道353号美沢上富良野線を東に5㎞程辿ったところにある。道道沿で十勝溶結凝灰岩を金網越しに見ることが出来る。ダム天端を通り、対岸に渡ると、大きな柱状節理のある露頭がある。露頭は大きな石英や黒雲母が目立つ十勝溶結凝灰岩である。地表近くは溶結していないため凝灰岩となっている。
十勝溶結凝灰岩の変形係数は2,000MN/m^2程度あり、ダム基礎として十分な強度を有しており、問題はなかった。しかし十勝溶結凝灰岩は溶結し硬く固結しているが、岩体表層のみならず、内部にも多数の亀裂が存在するため、透水性において問題の多い岩盤である。
溶結凝灰岩は深部まで垂直ないし急傾斜の冷却節理が発達している。また地表近くではさらに水平な板状節理が発達している。板状節理は風化に伴い、圧縮されて溶けた痕跡、すなわちユータキシティック組織に沿って分離している。このため、その数も多く、分布も不規則である。これらの冷却節理と板状節理が組み合わさり、高い透水性を示す岩盤が広範囲に存在する。このため中心部と周縁部に分けて、節理の発達状況やその走向や傾斜の特性を整理し、高透水を示す箇所の分布を推定する必要がある。
これらの節理は、風化により生成した粘土や地表からの流入粘土により満たされている。節理を充填した粘土は地下水の流動により簡単に流出する、いわゆる水溶性粘土である。ルジオンテストでは、ある圧力を超えると水の注入量が急速に増えることが特徴である。透水量が多いため、流量を測定できないこともしばしばある。
しかし、溶結凝灰岩中の節理による高透水性よりも問題となったのは、河床部に堆積している礫、砂、粘土からなる層厚18mに達する未固結層の存在である。河床谷部を埋めた未固結層は層状をなす粘土層と砂礫層から構成されていた。砂礫層は粒度分布も良く、締り程度も締固め試験の最大密度程度あり、ダム基礎として十分な支持力があると判断された。一方粘土層は、ルーズな締り具合であることから、ダム建設に伴い沈下が想定された。圧密試験結果から、沈下量28㎝、圧密終了期間60日程度と推定された。圧密終了期間が2か月程度と比較的短時間であり、日新ダムでは冬季間の盛土休止期間中に圧密が終了すると考えた。このため、あらかじめ盛土前に沈下板を設置することにより、沈下の終了を待ち盛土の施工を開始することとした。
未固結層、特に砂礫層の透水係数は10^1m/dayと極めて高いものであった。この砂礫層の処理が技術的にも経済的にも大きな問題となった。傾斜コアに加えて、高透水性の砂礫層の遮水対策として、ブランケット工法、グラウト工法、置換工法など様々の工法が検討された。安全性および経済性からスラリートレンチによる地中連続壁工法が採用された。我が国に初めて導入された地中連続壁は、1961年(昭和36年)中部電力畑薙ダムにおいて止水壁として施工された(イコス工法)。日新ダムにおける地中連続壁の施工は(エルゼ工法)、この経験を踏まえたものであろう。
1926年(大正15年)5月24日、十勝岳が噴火し、噴火口付近に積もっていた雪を溶かし、火山泥流となって上富良野町を襲った。苦労して切り開いた田畑は泥流に埋まった。この災害を題材としたのが旭川出身三浦綾子の小説「泥流地帯」である。
噴火後、十勝岳の火山噴出物や泥流中を流れる河川は酸性水となり、農業に適さない川となった。日新ダムは十勝岳火山噴出物中を流下する酸性水を水源とする水田地帯の代替水源として、7年の歳月をかけ、ピリカフラヌイ川に建設されたダムである。地元では酸性水による影響と用水不足の不安が解消されたため、ダム湖を「富源の湖」と呼び、湖畔に記念碑を建立した。日新ダムは美瑛白金の「青い池」に向かう途中にあり、休憩を兼ねて立ち寄るとよい。